


小さな聖地
捨てるにはもったいない大切なモノたちを
また使い続けたい!
それがKAIEの本音。
「これまで古いものには味があり、
ほんの少し手を加えたらさらに愛おしさが増すと信じて
作り続けてきました」
KAIEが作る作品はそんな想いが詰まった
大切なチャーム的要素を持っています。
たとえばここ数年、
イベントなどで登場するKAIEティピー
(インディアン・テント)は、
KAIEの大切な『おまもり』です。
セドナ(米・アリゾナ中北部の街)で体験した
インディアン・セレモニーでの
「リメイク作家としてやっていきたい」という誓いが
込められています。
KAIEティピーはイベントをするたびに、
出会った人たちの手によって装飾され
どんどん成長しています。
セレモニーの誓いは
「できない」を「できる」に変換し、
「作品を作る喜び」→「関わった人々と共有する喜び」へ
と導いてくれました。
今回の展示では、
新作KAIEゲル(移動式テント)と祭壇を設置し、
来場者がゲルの中でゆっくりとくつろげる空間
「小さな聖地」を体験していただきます。
自然と幸福に似た心地よい気持ちで、
今の時間をゆっくり楽しんでください。
また、最終日の10月31日(土)には、
KAIEと一緒にドリームキャッチャー
をつくるワークショップを開催します。
KAIE
2015/10/24-10/31
KAIE個展「小さな聖地」




KAIEの火
私が初めてKAIEの作品を観た時感じたインパクトは一言では言い尽くせないものが あった。 それはまるで祭りの狂乱のようでもあり、子供の自由奔放な創作を肥大化させたも ののようでもあり、何やら不可思議な布製の怪物のようであり。一人の作家の表現 しうるものの自己統一性を完全に逸したものを感じた。 だが形態はテントのようなもの(後からネイティブアメリカンのティピーと知るの だが)を中心としてそこから様々な創作物が増殖するように広がっている。壁面に も雑多に様々なものが供えられている。(後からそれは祭壇だということを知る) 昨今の現代アートにありがちなコンテキストとコンセプトとトレンドに縛られた肩 身の狭い表現とはまるで違った大らかで自由な、心が解放されるような作風の印象 を受けた。だからと言ってそういったものを無視した「なんとかアート」の類でも なく、列記としたファインアートであると私は直感的に思った。 KAIEの作品は脳に例えるならニューロンがシナプスを伸ばして他のニューロンと繋 がりながら増幅してネットワークを構築していく様のようである。 実際に本人に会って話を聞く機会があったが、このシリーズを始めるきっかけが、 ネイティブアメリカンの住居であるティピーに滞在した経験から来ているのだそう である。ティピーはスー族の言葉でそのまま「住居」を意味するのだが、ネイティ ブアメリカンはひとところに居住を固定しないことから、その形態からして持ち運 びの利便性を重要視されている。そしていわゆるテントと違う点はその中で火が炊 けるということだ。 彼女は色々な場所に住居という名の「場」を作る、そこで火を焚くように情報を発 信する。彼女のアートワークはそこから始まる。 再びニューロンの話になるが、ニューロンは情報を伝達、共有するためにシナプス を伸ばす。はじめにニューロンが情報(火)を持っていなければシナプスを伸ばす こともないだろう。KAIEにとっての情報(火)となるものは何だろうか? KAIEは一貫してリメイク、リサイクルを主眼においた制作活動を続けている。その 活動形態は多岐にわたる。 前述のティピーの作品も様々な人が持ち寄った古着や、古布といった本来破棄され るものによって作られている。 そこには人が媒介しており、逆に言えば物を介して人と人との交流が生まれる。古 着や古布、人が使い古したものにはその人や場所の歴史が刻み込まれている。その 歴史をかき集めて新たな歴史を紡いでいく、そんな思いが伝わって来る。 KAIEは人との交流をとても大切にしている作家だ。それを表していることの一つと して、ティピーの中で様々なワークショップを行ったり、ダンサーなどとのコラボ レーションもする。現代においてないがしろにされがちなリアルなコミュニケーシ ョンである。 そしてティピーの持ち運びの利便性を生かしてフレキシブルに様々な場所に作品を 持って行き(時に森の中など)ワークショップでさらに作品に歴史を紡いでいく。 参加するのは時に子どもであったり、お年寄りであったり、国境も越えて行く。 様々な歴史の断片がつなぎ合わされ結合して一つの次元を超えた歴史が生まれる。 複雑なベクトル集合体。 「運命の糸」とよく聞くが、KAIEは布を糸で縫い合わせるようにように人と人の歴 史の糸を縫い合わせていく。 KAIEの作品を一言で言い表せないのはこう言った制作プロセスの独自性にあるよう だ。 実際に彼女の作品に触れるとゲシュタルト崩壊が起きて、意識が様々なディテール を断片的に捉えざるを得なくなる。だがそれぞれのものにかすかだが確かに連関を 感じ取れる。もっと言えば非因果的連関のようなものだろうか。私はそこに単なる 郷愁とは言い難いノスタルジアとデジャヴを感じた。まるで過去と未来がそこに集 合しているような感覚である。 もう一つ不思議なところがある。そうやって他者が関わって作られた作品がちゃん と彼女のカラーになっているところだ。 それは表面的なものではない。だが紛れもなくKAIEの作品になってしまっているの だ。 でも当然といえば当然かもしれない。彼女の作品に関わる人達は彼女が焚べた火を 目印にそこを目指して来るのだから。 そこにはまるで少女のように無邪気に遊ぶKAIEがいて、話に花が咲きKAIEワールド に引き込まれていく。 彼女はとても明るくいつも笑顔で、そして何より眼力が強い。 その彼女の火とは他でもない彼女の歴史であり彼女の生き様であり笑顔であり瞳そ のものだ。瞳の輝き、それこそが彼女の火でありそれは言葉や振る舞いよりもより 直接的で根源的なな思い(情報)なのだ。人々はそんな彼女の瞳の輝きに吸い込ま れるようにKAIEワールドに引き込まれていくのであろう。 ティピーの中にはおもちゃの様な可愛らしい蒔が焚べてあった。
四万十川 猛

