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No.17 3.11の記憶
October 30, 2014

2011年3月17日の日記より
大地震からちょうど1週間経過。東京の雰囲気もやっと元気が出てきた気がします。
今日は私の記憶が鮮明なうちに地震当日の様子を書き留めます。
勤務先は曙橋。通勤は自転車。
通常ルートは代々木上原→代々木駅→新宿を通過して曙橋着。
自転車屋でメンテをしてもらってチャリ通2日目に地震勃発。
PM15:00頃、ランチ後でおなかも満腹眠たげでした(因みにランチは「てんや」)。
地震スタート
小揺れがどんどん大きくなり、ヤバイっヾ(.;.;゚Д゚)ノ
「机の下に隠れろ!」の上司の声に、机の下にもぐりこみ様子うががっていましたが、
揺れは更にエスカレートヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ。
「いつ迄続くの(lll゚Д゚)関東大震災がついに来た!」
「早く終わってほしい。もう十分!!」長すぎて船の中にいるようでした。
揺れが止まったとき、「生きてる。死んでない」助かったんだ。。。\(;゚∇゚)/
『地震速報震度6強』震源地宮城方面。東北方面なのに東京も揺れ過ぎでしょヾ(.;.;゚Д゚)ノ
彼氏に安否メールするが、すぐにエラーメール。何、携帯がパンク状態!?
隣接の学校校庭は学生が避難の為集まり始めていた。
そしてまた大きな揺れの繰り返し、繰り返し、繰り返し。。これが余震というものか。。。
仕事場の環境はテレビがないため、具体的が被害状況がまったくわからない。
アイフォンのニュースを見ながら情報をさぐるがまだ被害情報まったくわからない。
携帯の電話もアウトだし。。。スカイプ電話でなんとか彼氏の安否が確認できほっとした。
スカイプに感動!!つながり良すぎ。
ひとまず落ち着いて、余震におびえながら皆仕事に戻った。
17時頃。社内電話が不通になり業務不可になった。
彼氏からのメールで皿が割れている写真が送られてきて、
友達からは「生きているか?」メールが続々と到着。
生と死がこんなに身近に感じたのは初めて。
あれだけ「メメントモリ(死を想え)」と自分に言い聞かせてきたのに、
それが薄っぺらに思えてならなかった。安全、平和の上にどっぷり漬かった自分のエゴなのだと。。。
18時頃。都内の電車の全線停止を知った。
「今日は電車の復旧の予定はないので、家に帰れない人は会社に泊まるように」会社命令が下った。
私は自転車だったので帰ってもよいと許可をもらえたが、それはそれで不安しかたがなかった。
とにかく余震は続いてるしどこに行っても安全という保障はどこにもないからだ。自分の家でさえも。。
19時頃。自転車で帰社決断。新宿は避けるべきだと判断して外苑西通りを通って、
信濃町→外苑前→原宿→代々木公園→代々木上原のルートに決めた。
外苑西通りはサラリーマンや学生、老若男女の行列の波にハマる。車の渋滞も半端ない。
しかたなく手押しで歩いたが、何キロもかけて家に帰る人々の流れは
どこ迄も続いていた。それは楳図かずおの「14歳」を思い出す風景と重なった。
四谷三丁目の交差点に差し掛かると、新宿を目指す人々の群れ、
池袋方面の人々の群れ群れ群れで満員電車ギュウギュウ詰め状態の様だ。
中には歩くのを諦めて、飲み屋でお酒を飲み始める人、食事をする人も大勢いた。
「これが東京。。」こんなに沢山の人が東京に働きに来ているんだ。。
四ッ谷三丁目の交差点付近

コンビニを覗くとおにぎりやパンの棚は空っぽ。
そして携帯はつながらない。人々は携帯が繋がるまでトライしている。
何度も繰り返し、繰り返し、繰り返し。。。。
幸い神宮球場周辺は人並みも途切れ、高い建物も少なく安心したが、
再び外苑前駅の246通りでは渋谷に向かう人群に押し潰されそうになり、青山団地に逃避。
精神的にも体力的にも限界。。休みたい。。帰路にこんなに時間がかかるとは。。
急に一人が怖くなって、人と話したくなり、不謹慎だったが青山のなじみの居酒屋に直行。・゚゚(≧д≦)・゚゚・。
「おっ!また難民が一人入ってきた」冗談まじりで笑顔で出迎えてくれたマスターの顔に癒された。
それからお酒を1杯頼んだ。客はラジオを聞きながら飲んでいる人、アパレルの社長。不動産の社長。
神奈川からきた常連。飲む席の話はもちろん「地震」。
飲み屋の会話で初めて知ることになるNEWS。千葉のガスが燃えている。
お台場の煙、東北の大津波、火事。。。ショックは大きかった。東京でもこれだけ大変なのに。。辛いのに。。
まだテレビは観ていなかったが、スイッチを入れることで、今話していることが本当にリアルになってしまうことが怖かった。
人々は地震後、自分が生きているとわかった瞬間、身近な人達の安否を心配することに懸命だった。
そして東京は暴動にはなっていない。むしろ知らない人達同士助け合っている。日本人ってスゴイ。誇りに思える民族なんだって感動ヽ(´▽`)/
24時頃。電車も少し復旧し、夜通し運行していた。
寒さもましてきた冬空の代々木公園を通過中、この公園で友達と花見をした楽しい記憶が蘇ってきて、涙が出てきた。「あのことはこんな地震がくるなんて夢にも思っていなかったのに。。平和な時間だったなぁ。。こんな事になるなんて。。」
今年の桜の花は後10日もしないうちに開花するというのに。。。
24:10無事自宅到着
緊急地震警告機能を知ったのは彼氏の携帯だった。予報後にかならず地震があるのだ。怖すぎる。
(一週間たったいまもそれは続いている)
そして始めてテレビ放送を観た。私の予想をはるかに超えた映像が生放送でやっていた。
一面火の海の東北の海沿いの街、各地の火事。。。ありえない。
そして、福島の原発の様子も。
まだあの時は一号機が爆発するとは夢にも思っていなかった幸せな過去。
疲れているのに寝ることもできず、午前4時までテレビをみながら震えていました。そして余震も続く。
なぶり書きで失礼いたしました。 東京で地震にあった人達もそれぞれの状況があったと思います。
記憶は曖昧ですからまだ思い出せるうちに私は書き留めておきます。
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No.19


KAIEのルーツや記憶を蘇らせた19の文章。
それらを基に、2014年11月に開催した3人展では、KAIEの祭壇を設置しました。
もし、この世に神様や精霊がいるのなら、いままで無事に生きてきた事、
様々な人達との出会いに感謝します。
母の羊水の中の記憶。偶然もらった紙切れやハギレ・洋服・今まで印象に残っている場所行動・旅・めぐり合った言葉。
/// 3 TRHEE EXHIBITIONS 3人展の情報はこちらから